ワールドゲームズ(WG)とは...2001年秋田で行われた国際スポーツイベント

競技は、主にオリンピックで行われない競技

ここでは、実際にWG組織委員会で働いていた管理人が、WGについてちょっと書いてみたい。

WG組織委員会での管理人の役割

宣伝広報部宣伝広報課係長(1999年) →

競技運営部六郷会場運営本部長(兼)式典部長

(2000〜2001年)

主な業務(宣伝広報)

広報誌の発行、パンフレット等の作成、イメージソング制作、キャラクター及び愛称の公募、ホームページ作成、各種権利の保護、Pressリリース、取材対応、記者会見のセッティング、各種イベントでのPR活動、テレビ、ラジオの出演、その他宣伝広報全般

主な業務(運営本部)

大会会場の利用計画の作成、輸送、食事、宿泊計画の作成と手配、ボランティアスタッフの募集と研修、参加選手の管理、大会の進行及び運営管理、報道対応、その他会場運営全般

大会終了後

大会本番時の経理処理、レポート作成、各種報告事務、クレーム処理

主に上記のような業務を行いました。

今となってはいい思い出なのかもしれませんが、大会本番時で約8kgやせました。

正に身も細る思いでした。

ハプニング、裏話しなど追々書いていきたいと思いますので、お楽しみに...。


裏話 その1 NOと言える日本人

 大会中は、参加各チームから、食事や輸送、練習会場の割当、飲み物などいろいろな要望が出される。できるだけ対応するのだが、中には無理な要望もありました。その時は、はっきりNOという。大会中はそのように振舞ったつもりです。おかげで、一部からは反発をくらったが、結果として大会はスムーズに進行しました。

 ちなみに、WGで培った超実践英会話は今でも健在です。ヨーロッパ英語とオーストラリア英語の微妙な違いにはかなり戸惑った記憶がありますが...。


裏話 その2 スタッフの皆さん

 大会には常時100人近くのスタッフが何らかの役割を担っていた。大会の2日前からこの体制がスタートしましたが、最初はほとんどの部門から様々な確認や問い合わせがありました。しかし、大会当日あたりから、少しずつ減ってきて最後はほとんどきませんでした。私に愛想をつかしたのか...みんな自主的に動き出してくれました。自然とリーダーが生まれ、役割が決まっていったようです。職業は社長、公務員、看護婦さん、先生、学生、フリーターなど、年齢も16から60代とばらばらでしたが、みんなの目指すところは一緒だったように思います。

 今考えると、プロジェクトXが制作できたかも...と考えるのは私だけではないかもしれないと思います。。

 最後に、ご協力いただいたみなさまありがとうございました。


裏話 その3 ナミー&ハギー

 先日の魁新聞でナミー&ハギー(通称ナミハギ)が、秋田信用金庫のマスコットとして使用されることになったとか...。組織委員会時代にマスコットキャラクターの担当だった私としては、嬉しいような、もうそっとしておいてもらいたいような複雑な気持ちです。

 そこで、ナミハギ誕生にまつわる裏話を少しご紹介します。

 ナミハギは秋田市の石川さんというデザイナー兼イラストレーターの手によって制作されました。秋田県内のデザイン事務所や印刷業者等から公募し、一次選考、二次選考と段階を経て決定したものです。しかし、決定までは様々な苦労がありました。

 2次選考を担当した組織委員会の役員さんの連絡調整がつかずに、市内の各社の社長室や役員室、県庁内の部長室を走り回ったこと。そして、山王中学校へお願いしたアンケートの集計、県サイド?からの修正要請への対応、胸に入っているロゴを入れるかどうか、男鹿のなまはげ保存会?からの助言、その他細かなことをあげればきりがありません。

 そんなこんなでようやく誕生したのが、ナミーハギーのキャラクターなのです。

 最終的には、キャラが決まった後、ネームも決まり、いよいよデビューとなり、県内外のあらゆる印刷物や着ぐるみ、ぬいぐるみなどになったときは嬉しかったです。やっぱ、ナミハギでよかったのかなと今でも思っています。

 もしできるのであれば、福島のうつくしま未来博で国体のキャラをファミリーにしてそのまま使用したように、秋田国体でもナミハギファミリーなどにバージョンアップして使用してもらいたいものだと思います。


裏話 その4 そろそろ明るくなったから帰ろう

 大会本番を目前に控えた8月前半のある日の午前3時すぎ、組織委員会では私と国際交渉部門のTさん、他数人のスタッフがパソコンに向かい海外からのe−mailと格闘したり、宿泊リストを作る業務を行っていました。

 ここ数日、ほぼ毎日このような生活が続いており、この時間になると意識ももうろうとしてきて、極限状態になっていました。ふと外を見ると、あたりがうっすらと明るくなってきていました。

 そのときTさんが「明るくなってきたから帰ろう」といい、私も同調し帰宅、午前5時頃眠りについたのでした。組織委員会のスタッフの中には、床にマットを敷いて寝ている人もいたり、廊下のベンチで寝ている人もいました。

 今考えると、家に帰って寝れただけでも幸せだったのかもしれません。皆さん、こんな状態信じられますか?こうやってワールドゲームズを支えたのは私たちです・・・なんちゃって!!


裏話 その5 有名人と知り合いに...

 ワールドゲームズを通じて、いろいろな有名人と知り合いになりました。。

 中でも一番有名なのは、パワーリフティングの世界大会で知り合った「たけし軍団のなべやかん」だと思いますが、その他にもエレクトーンの加曾利康之さん、ヤマハの森川美穂さんなどがいます。やかんさんからはサインももらったはずだし、彼の軽妙なトークはいまでも印象に残っています。加曾利さんのコンサートに行き、楽屋を訪問したこともあります。

 秋田の有名人とも知り合いになりました。シャバダバオさん、桜庭みさおさん、大間ジローさん、石川文子さん...まだまだいるはずです。各局のアナウンサーさんにもお世話になりました。中には一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだ人もいます。

 競技関係では、ダンスやパワーリフティング、エアロビックの日本チャンピオンやラグビーの日本代表チーム、キャスティング日本チャンピオンの集英社の編集の方、国会議員の秘書をしている女性ボディビルダーの方など数え切れません。

 上記の方々で私のことを覚えてくれている人が何人いるのかわかりませんが、私にとっては大きな財産となっています。


大会本番時の写真

ゲームの様子

オランダチームより愛を...

活躍するボランティアスタッフ

表彰式でのワンショット

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