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心ひとつに明日を拓く、秋田県美郷町立美郷中学校

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旧陸軍六郷飛行場rokugo airfield

旧陸軍が太平洋戦争末期に整備していた六郷飛行場について紹介します。

概要

 六郷飛行場は、太平洋戦争末期に陸軍が整備を進めていた秘匿飛行場の1つである。この飛行場が造成されたのは、かつて飛行家・佐藤章(美郷町出身)が郷土訪問飛行を行って以来、陸軍も幾度か飛行演習を実施してきた明田地(みょうでんじ)の原野であり、この地名から「明田地飛行場」とも呼ばれている。
 六郷飛行場の造成が決まったのは、昭和20年(1945)5月。『本土航空作戦記録』(昭和21年〈1946〉、第一復員局調製)によれば、本土決戦に向けて航空戦力を絶対確保する必要があり、昭和20年(1945)初頭から飛行機・燃料・弾薬等の分散・秘匿を徹底することで米軍の空襲による被害を防いでいたが、分散・秘匿すると発進まで時間がかかるため、発進基地として秘匿飛行場を整備することでその欠点を補おうとし、全国約40カ所に設定する計画であったという。このような状況の中で、航空総軍の命令により六郷飛行場の造成が行われたのである。
 明田地で造成が始まった経緯に関しては、『六郷小学校百年の歩み』に詳しい。昭和20年(1945)5月14日、能代飛行場に本部を置く第74飛行場大隊の大隊長・可児廉平少佐が六郷町役場を訪れ、起伏の少ない明田地の原野をそのまま利用し、特攻用の秘匿飛行場を児童の手で整備してもらえないかと六郷国民学校側に打診したのが発端である。これを受けて六郷を含む国民学校10校の児童数千名を動員して飛行場の整備が始まったのであるが、それは幅約200m、長さ約1500mにわたって手作業で飛行場を設定する遠大な計画で、最終的には横手中学校・横手高等女学校・大曲高等女学校、近郷の成人まで動員が拡大されることとなった。
 そして、作業が進んでいた昭和20年(1945)7月15日、米軍の艦載機に飛行場を発見され、突如として機銃掃射を浴びた。この艦載機は、岩手県沖に停泊中の米空母バターンから本州北部にある飛行場の攻撃を任務として発進したもので、戦闘機(グラマンF6F-5)7機と写真偵察型戦闘機(同F6F-5P)1機の編成、指揮官はアルバート・H・クランシー・Jr.少佐であった。当時米軍は横手近辺に横手飛行場が存在すると分析していたため、この部隊はここがその横手飛行場にあたるものとみて低空飛行と空撮による偵察を行ったが、格納庫や大規模な施設、飛行機が認められないことから、この飛行場は使用されていないものと判断し、それ以上の攻撃は行わずに横手方面へと機首を変えた。このときの日本側の様子としては、この艦載機を友軍機が飛来したものと思い、万歳をして迎えたところ機銃掃射されたという話がよく知られている。機銃掃射をしたのは戦闘機1〜2機であったという。作業中の人々は、それぞれ近くの林などに待避して難を逃れたため死傷者はいなかったが、初めて敵の直接攻撃を受けたこの出来事がいかに衝撃的であったかは想像に難くない。
 この空襲後も飛行場作業が中止されることはなく、敵機に見つかりにくい時間を選んで続けられ、9月にはいよいよ燃料が集積される計画となっていたが、結局未完成のうちに終戦を迎え、ついに日本軍の飛行機は1機も姿を見せることはなかった。
 終戦後は、進駐軍の飛行機がこの飛行場を利用したほか、日本軍から引き渡された弾薬の処分場として使われたが、現在は跡地のほとんどが美田へと変わり、往時を偲ばせるものは真っ直ぐに伸びる道路と離発着の妨げになるという理由で上部を切断された松の木ばかりである。


Outline

 Rokugo Airfield was a secret airfield of the Imperial Japanese Army at the end of the Pacific War. The airfield was going to be a base for Kamikaze. To build the airfield, thousands of elementary and high schools students had worked since May 1945. On 15 July 1945, suddenly the airfield was strafed by aircrafts of the U.S. Navy. But the commander thought this airfield appeared to be inoperational, so they flew to the nearby town of Yokote to attack locomotives. Because the airfield was under construction, no one was killed. After all, the war ended before the airfield was completed.


史料

航空総軍命令(1945/5/28)
 六郷での秘匿飛行場整備を命じたもの。防衛研究所戦史研究センター所蔵。
本土航空作戦記録(1946)
 当時の飛行場整備状況と秘匿飛行場整備要領が載っている。防衛研究所戦史研究センター所蔵。国立国会図書館デジタルコレクションでも昭和24年の複製版を閲覧可能。
艦載機戦闘報告書(1945/07/15)
 昭和20年(1945)7月15日、秋田県に来襲した米艦載機の戦闘報告書。この中の「Yokote Airfield」の部分が六郷飛行場のことと考えられる。米国国立公文書館所蔵。国立国会図書館デジタルコレクションでもこちらのページで閲覧可能。
本州北部飛行場配置図
 米軍の資料。横手近辺に「Yokote Airfield」があるとしている。米国国立公文書館所蔵。国立国会図書館デジタルコレクションでもこちらのページで閲覧可能。
○第74飛行場大隊関係
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121029000「第1航空軍編制人員表」(防衛研究所)
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14010695300「軍令陸甲第93号」(防衛研究所)
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110525000「航空総軍戦闘序列」(防衛研究所)
・JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110542800「内地各軍戦闘序列」(防衛研究所)


六郷飛行場跡地


六郷飛行場跡の空中写真(クリックしてご覧ください。)
※国土地理院がインターネットで公開している米軍撮影の空中写真を加工したものです。

六郷飛行場比定地

参考文献

・『秋田県警察史』下巻(秋田県警察本部、1971)
・大内那翁逸・津野田喜長編『旧帝国陸軍航空部隊要覧』(大内那翁逸、1996)
・陸軍航空碑奉賛会編『陸軍航空の鎮魂 総集編』(陸軍航空碑奉賛会、1993)
・東雲飛行場を語る会編『資料・能代飛行場』(能代文化出版社、1997)
・『りゅうが』(六郷史談会)
・『六郷小学校百年の歩み』(六郷小学校百周年記念事業協賛実行委員会、1974年)
・『六郷町史』
・『仙南村郷土誌』
・『横手市史』


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