大曲の花火の歴史
「大曲の花火」の始まりは明治43年8月26日、諏訪神社の祭典の余興として開催
された「奥羽六県煙火共進会」です。大正4年にはよりレベルの高いものを
ということから「全国花火競技大会」として規模を全国に広げました。
昭和30年代には、大曲商工会(現在は商工会議所)が主催となり、昭和38年には
「通産大臣賞」が加わり翌39年には「創造花火」という花火の新境地を生み
出します。
昭和40年代ではいろいろな試行錯誤が行われ、「中小企業庁長官賞」が付加
されております。
昭和53年には、昼花火競技が新たに始まり、50年後半には大曲市の友好都市
テトナング市があるドイツで「大曲の花火」が打ち上げられました。
昭和60年代は、大会の充実期に入り競技大会もレベルが非常に高くなるとともに、
競技とは別の特別企画「大会提供花火」も話題となりました。(上の写真が
大会提供花火です)62年には、日独文化交流としてベルリン750年祭街頭
フェスティバルのフィナーレを「大曲の花火」がつとめました。
平成に入り、大会も国際的になり「花火サミット」などの世界レベルの大会が開催
されるようになりました。特に平成4年の大会時に開催された「国際花火デザ
インフェアイン大曲’92」では、花火の芸術性について世界7カ国の花火師
等が参加し意見交換が行われました。
平成8年には、科学技術庁長官賞が夜花火競技の奨励賞として授与されました。
また、創造花火の開発と国際交流における功績が認められ、第46回河北文化
賞を受賞しました。
平成9年には、ハンガリーのブタペストで5度目の「大曲の花火」海外打ち上げ
成功により、さらに権威のある競技大会として位置付けられました。
平成12年、第74回大会から初めて内閣総理大臣賞が贈られることになりました。
この賞が贈られるのは、「大曲の全国花火競技大会」と「土浦全国花火競技
大会」の二つだけ。夜花火の部の「創造花火」の最優秀賞として贈られます。
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